セプテンベル市と呼ばれるプラント群の中のひとつ。
電子工学、情報工学、人工知能工学、総合情報学などを専門とするそこには、他のプラントと同じように美しい自然が作られている。

そして、そこに暮らす人々と、彼らの家。
その中でも高級住宅地に該当する地区に、白亜の屋敷があった。


広い芝生の上で、それぞれ茶と黒の毛並みを持ったゴールデンレトリバーが、もつれあうようにじゃれあっている。かけっこをしたり、追いついてころころと二匹で転がってみたり。

そんな優しい風景を、微笑ましそうに見ている女性が一人あった。
窓際の椅子に腰掛け時折その大きな腹を撫でれば、元気に動くようになった息子を感じる。父親は遂にこの胎動を感じることは出来ないのだと思うと少し寂しい気もするが、この小さな命の誕生と比較すればどうということはない。

「・・・早く、お母さんにお顔を見せてね」

やわやわとさすれば、返事の代わりに彼はぽんと内側から腹を蹴る。
自分で言った「お母さん」という響きの気恥ずかしさも手伝って、女性はくすくすと笑い声を零した。

二年前は考えもしなかったのだ。ミゲル以外の男と恋仲になり、夫婦になり、子を宿し、その子の誕生を心待ちにする日が来るなどとは、決して。






二年前のクルーゼ隊時。

復讐の為の訓練に明け暮れ、憎悪をいつも胸に抱き、一人になれば彼を想って泣いて。
結局、ストライクへの留めはアスランに刺されてしまって。

やりきれない気持ちのまま、自暴自棄になっていた彼女を止めたのは、彼だった。
きっかけは勿論、ミゲルと同じ声色だった。
そしてその後も、しばらくはその理由であることは、残念ながら否めない。
けれども。



彼は次第に、彼自身として心へ浸透していって。




そして、忘れられないヤキン・ドゥーエでの戦い。

少女はホーキンス隊の面々と共に宇宙へと機体を駆り出していった。
戦艦は五つ。MSはそれこそ何十と屠った。
けれども、それだけの戦果を上げて、疲れきっていたためだろうか。彼女はあらぬ方向から繰り出されたカーブのかかったビームを避けきることが出来なかった。一撃を不意に受けた後他の連合軍に続けざまに何発も打ち込まれ、爆発と共に機体は大破し、彼女は通信を繋げることすらできない状態へと追い込まれた。
見た目にはもうスクラップであるそれを狙って撃ち抜く者こそいなかったが、いつ流れ弾が掠ってもおかしくない状況。バイザーの内側にべっとりと付着した自分の血液と、自らの呼吸の音だけが自分はまだ生きているのだと教えてくれていた。



死は、覚悟していた。
必死になってまで生きたいとは願わなかった。
ミゲルの元へ逝けるのであれば、それも良いとすら思った。


視界を著しく遮る血糊に、視覚を諦めてそっと目を瞑る。
痛いくらいに何も音がない宇宙空間で、脳が再生するのは決まって、彼の声だった。愛を囁く声、名を呼ぶ声、何気ない話。矢継ぎ早に過ぎ去ってゆく、幻聴。
たとえ視界が血で覆われていようとも、いつだって瞼を閉じれば決まって彼が微笑んでいた。






『死ぬな、って言っただろーが!人の話聞かないヤツだな!』


ぼんやりと早口で過ぎる記憶に浸っていると、その中に妙にクリアな音が混じった。
通信回線が復活したのかと一瞬思うが、ヘルメット内のスピーカーからの音にしては遠く、酷くリアルなもの。

けれどここは宇宙。
空気が無い世界に、音は存在しないはずなのに。


『ったく…俺がいないとダメだな、お前は…』

ハイネ、だろうか。それにしては口調が砕けすぎているような感じがした。それに、彼にそんなことを言われる筋合いは彼女にはない。
反論しようと息を吸い込めば、独特の声の持ち主は少女より前に言葉を紡ぐ。
透き通るような、掠れた儚い声色で。

『でもな、もう、俺はいないんだ。』



吸い込んだ息が氷のように鉛のように、感じた。


『…ごめん。守るって言ったのにな…。』


「……ミ……ゲ…ル……?」


『お前を幸せにしてやること、できないから。俺には』


グリップを握り締めたままの右手に、ふわりと熱が被さる。けれどそれは温度以外の感触を一切持ちはしなかった。

「やだぁ…ッ…ミゲルがいい…私…ミゲルが…!!」


『けど…お前には、幸せになってほしい……』


血糊の微かな隙間から、緑色のパイロットスーツが見えた。その色にも、声にも、涙が溢れて止まらなくなった。慌ててヘルメットの顎の部分、バイザーを開けるスイッチを手弄った。


『じゃあな、。…愛してる』




ようやくスイッチを探り出し、バイザーが開いたときには、もう少女の目の前には何も無かった。壊れた機械と、部品が宙を舞うのみ。そしてその中に、流した涙がぽつり、ぽつりと浮かんでいく。





少女が再びバイザーを張ると、血は粗方拭い去られていた。ようやく確保できた視界の端に、ひっそりと生きていた装置が映る。
がっちりと座席に固定されていた自身の体を手馴れた手つきで外していこうとして…体中が痛んでいることに気付いた。「生きよう」として始めて現れた、自分が生きている証。
彼と自分との、覆せない決定的な違い。

「……い、たい……」

肋骨が折れているのか、呼吸するたび酷い痛みが走る。今までどうして平気でいられたのか不思議なくらいのそれに顔を歪めはしたが、少女はけして、自分が生きる為の作業を止めはしなかった。

コクピットを手動で開くのはアカデミーでの研修以来のことだったが、大破している割にはすんなり進んでいった。装甲は幾重にもなっており、内側から一枚一枚開いてゆく。代わり映えのしない金属が続き、このまま同じような作業を永遠に繰り返さねばならないもののようにすら思える。
それでも、確実に外へ近づいているのだと信じて、幾層か目の金属板を下ろした。

だんだんと装甲に傷や焦げが目立つようになってきており、ヘルメットさえなければ焦げ臭いとも感じたかもしれない。ここがまだ、宇宙空間に属していないとすればの話だが。

最後の一枚…今はもう機能を失ってはいるが、PS装甲に覆われたその層を押し開ければ、外ではもうとうに戦闘は終わっていたようであった。

無機質な塊だけが、目に見えて宇宙を漂う。けれど、この戦闘で一体何人の人々が命を落としたのだろうか。どれだけの人々が、塵と化したのだろうか。



少女は、見つめた。

ジンの頭部の向こう側に、青く美しい地球を。
ダガーの腕の向こう側に、欠けることなく連なるプラントを。


「終わった」のだ、なにもかも。

無音の世界の中、太陽のような色の機体が此方へ近づいてくる。
けれど、そのパイロットはけして、『彼』ではない。

なにもかもが終わった。けれども、終焉ではない。
これから新しく始まっていく。
新しい時代が、産声を上げようとしている。
そして彼女の心にも、確かに芽生えていた。


コックピットを開いた状態でゆっくりと接近する、その機体の持ち主は―…





















「奥様、昼食のご用意が整いました」

妊娠中は家事などもってのほかだと考えたハイネによって、妊娠期間中だけつけられたメイドがを呼ぶと、彼女は呼んでいた文庫本を置いてゆっくりと立ち上がった。

少し前までは家事などもなんでもなくできていて、メイドなど要らないと少しだけ反抗的になっていたのだが、今は彼女の存在がとてもありがたく思える。身がとても重く、機敏に動けない自分がもどかしかった。
そうしてはゆっくりと、一階の食堂へと移動し始めた。








CICの少女の声の後、オレンジ色のグフのカメラに光が灯った。
その後ろに待機する赤と白のザクも、グフに従うように機体を起動させる。
カタパルトが展開し、戦場がメインカメラに映し出された。

相手は地球連合軍とオーブ。そして、先程こちらの主砲「タンホイザー」を貫いた、かの有名なフリーダムとその母艦アークエンジェルも含まれるだろう。
自分達に害を成すものは敵。敵は落とす。割り切らねば死ぬぞと忠告したのは、自分だ。

「ハイネ・ヴェステンフルス、グフ行くぜ!」

青空の下に、色鮮やかな機体が舞う。

すれ違いざまに一機、懐に潜り込んで一機。『中立国』のMSが次々とグフの手に掛かり爆散していった。全周波放送では代表を名乗る少女の涙交じりの叫び声が聞こえる。『私のことがわからないのか』『戦闘を止めろ』…ハイネは目を細め、向かってきたムラサメを両断した。
余計な情を絡み付ける声は、今は不快なものでしかなかった。
ぶつりと放送回線を切り、グフはまた、敵機の群れへと突っ込んでいく。








「…戦争は嫌ね。」

食事の手をはたりと休めて、は憂いの表情を見せた。
一緒に食事を取っていたメイドが心配そうな視線を寄越す。

「奥様…」
「本当に…簡単なのよ。MSのお腹を狙ってボタンを押すだけ。光がMSを貫いて、少し後に爆発するの。一緒に、命も一つ消えるの。」

ぼんやりとした表情では言い、ナイフとフォークを斜めに重ね合わせて置いた。皿の上にはまだ半分以上、料理が残っている。

「私もやっていたことだから…分かるの。人が死ぬのは、とても簡単だって。…生まれて育つのは、とっても難しくて、大変なことなのに。」

淡々と続ける女性は、いつもの穏やかな物腰を失っていた。
光を宿さない瞳でどこかを見つめて、表情すら消えて。
最近はハイネが家に帰れないせいか、彼女のそうした表情も頻繁になってきていた。
年も下で、民間人という身分から離れたことの無いメイドにはどうしていいやらわからなく、それが歯痒くもあった。包容力のある年配の家政婦でも雇えば、経験でなんとかできるかもしれないのに、メイドの自分の長所といえば小回りや頼みやすさ、そんな程度だ。
「…ごめんなさいね、突然こんな話してしまって。」

ぼんやりとしていたメイドが主人の方を向くと、は苦笑しながら彼女を見ていた。そこでようやく我に返り、彼女はふるふると首を振る。

「折角作ってもらったけど…食欲が無くって食べられないの。ごめんなさい。」
「いえ、そんな!大丈夫です!」

慌てたメイドが両手をぶんぶん振り、不快感を持っていないことを示す。あまりに大げさなその仕草にはついつい笑みを零し、メイドは口走ってしまった「大丈夫」という言葉の意味の無さに頬を赤らめた。

「ご馳走様。いつも、ありがとう。」

予定日は、明後日くらいだと告げられている。
そうしたら彼女とはお別れだ。出産後に一週間程入院すれば、家には今度は少し年配の…子育ての経験がある家政婦が来る、という話なのだから。
体がぐんと動きづらくなってからの何ヶ月間、彼女には本当に世話になっている。
その感謝の意もこめて、はにっこりと微笑んだ。



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