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「、これが最後だ。逃げよう」
手を伸ばしたみんなに、わたしは首を振った。
透明なガラスのさき、広がる緑の大地。青い海、白い雲。
そして、銀色に輝くたくさんのはこぶね。
ぼんやりと見える昼間の月。はばたく小鳥。
「できないわ」
「どうしてだい!」
アルが喚く。昔からこの子はこうやって、自己主張が激しい子だった。
他が押し黙っても、こうやって意見を言える。それが亀裂を生むこともあったけれど、必要なことでもある。
「無理なのよ、アル。みんなも。」
見回すと、みんなは悲痛と憤りの表情でわたしを見ていた。
希有なのはイヴァン。微笑んでいるのは彼だけ。彼だって、心から微笑んでいるわけではないけれど。
いつも貴方はそうだった。強引なところもあったけれど、後ろのほうで微笑んでいた。
彼は今、純粋な瞳でわたしを見ている。視線をかちりと合わせて、私は言った。
「わかってるはずよ、わたしは、いけない」
とんでもなく下手な演説の後みたいな、しんと静まり返った空間。
わたしはぎこちなく微笑んでみせる。けれど、今度は誰も微笑んだりしなかった。
針葉樹みたいに突っ立つ間をかきわけて、ルートヴィッヒがやってくる。
「今まで…ありがとう」
ごつごつした手がわたしの手を握る。ゆっくりと屈めた背。キスがひとつ頬に落ちる。
「こんなあいさつもできるようになったのね。この朴念仁。」
わたしはキスを返す。彼の頬に触れた私の唇が塩辛かった。
「さようなら、ルートヴィッヒ。」
そして左右からの抱擁、「さようなら、フェリシアーノ、ロヴィーノ」
ふたつの敬礼、「さようなら、バッシュ、リヒテン」
ぶっきらぼうな撫で方、「さようなら、ギルベルト」
泣き出しそうな笑顔、「さようなら、アントーニョ」
苦しげな微笑、「さようなら、イヴァン」
強く握られたてのひら、「さようなら、アルフレッド」
決壊した涙、「さようなら、マシュー」
深く曲げられた体「さようなら、菊」
手の甲に落とされるキス、「さようなら、フランシス」
無言の抱擁、「さようなら、エリザベータ」
最後の罵声、「さようなら、ローデリヒ」
みんなはひとりひとりわたしに別れを告げて、ひとりひとり部屋から出ていった。
すっきりした部屋に残るのは、ただ一人。
「お前を連れてけねえなら、俺は残る。」
「まあ、おばかさん」
わがままをいう子供のように動かない彼の元へわたしは歩く。
「いつものように皮肉を言ってさっさと消えて頂戴?」
「嫌だ」
「子供みたいなことを言わないで。あなたも早く行かなきゃ」
「お前も来い」
「できないわ」
「どうしてだよ。お前が言ったんだぞ、絶対浮気すんなって」
「話が違うわ」
「違わねえよ、ばか」
ちくしょう、どうしてだよ。エメラルドの瞳から真珠の涙が溢れ出す。
あなたのそんな涙は二度と見たくなかったのに、ごめんね。
見るつもりじゃなかったのに、ごめんね。
わたしは彼の頬にそっと手を添えて、口付ける。彼のそれは世界一のキス。
「アーサー、愛してる」
「俺もだ、愛してるよ」彼は私の瞳を覗き込んでくる。「まだこんなに…綺麗だ。なのに」
「消える。」彼の開きかけの口に息を吹き込むように、私はささやく。
「でもね、わたしは幸せ者なの」
私がぽつりとつぶやいた言葉に、彼は眉を寄せる。
「ありえねえよ」
「ううん、とても幸せよ」私は続ける。
「こんなはずじゃなかったの。きっと私は」
「やめろ」
「みんなを看取ってからひとりでしぬんだと思ってたから」
乱暴に扉が開く。
「行くんだぞ、アーサー」
アルフレッドがアーサーの腕を握った。震える腕で、精一杯虚勢を張って。
「な、いやだ、俺は行かない」
「お願いねアル」
「わかってる」
「どうしてだよ、アルやめろ、放せ馬鹿、やめ…やめろ、アルフレッド!!なあ、嫌だ、いっしょに、、駄目だ、」
「ごめんなさい」
閉まる扉。
しんと静まり返る部屋。
もう誰もいない部屋。
溢れ出す涙が止まらない。
辛い役目を任せてごめんなさい、アルフレッド。
一緒にいられなくて、ごめんなさい、アーサー。
彼らは旅立っていった。この、一見平和に見える大地から。そして彼らはもう、けして戻ってくることはない。
わたしはひとり、静かに終焉を待つ。
わたしはこの大地を捨てられない。空へ飛び立つことはできない。
離れることはつらいけれど、この身を恨みはしない。
わたしがわたしであることを憎んだら、わたしのいままでの幸せな時間まで否定することになるから。
ああ、わたしはいまのいままで、とても幸せだったのですもの。
この終幕と引き換えにするには、ありあまるほどの幸福をあなたたちから貰ったのだもの!
「さようなら、アーサー」
このいのちの最後の最期まで、あなたのことを想うから
私は、地球で一番の幸せ者なの
透明な空気が熱く燃え上がる。
三つの地球は、ただただ、空を駆け行く箱舟を見つめていた。
ワンダーラスト
星の海を進む大きな船から、見えた母なる星の終焉。
声無き声をあげて、男が崩れ落ちた。
はるか、はるか昔。
ひとびとがこの大地はまるいだの、平らだの、いっていたじだい。
小さな男の子が森の奥で、しゃがみ込んで泣いていました。
ちいさな手でしきりに涙をぬぐっておりました。
けれど男の子は手も服も泥だらけで、拭っても拭っても泥も涙も取れません。
差し入れられた白いハンカチ。驚いて弓を番えようとする男の子を、女性は抱擁で優しく制しました。
「恐がらなくていいの」
あたたかな鼓動は、彼が知らないはずの母のぬくもりと、香り。
暴れるのをやめた男の子が、拒絶に瞑っていた瞳を開いて、女性を見上げました。
「?…だれ、だよ、…おまえ…」
「はじめまして、アーサー。わたしは、地球。って呼んでね。」
女性の瞳は、ところどころ緑と白の不思議な文様の入った、まんまるの青色をしていました。
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