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満身創痍で帰ってきた貴方を待っていたものは、 沢山の侮蔑の視線と、罵声と、 国王殺しの戦犯の一味という不名誉な称号でした。 「嘘だろ…」 そうこぼしたのは、レックスの二歳下の弟だった。 上げられた声に気付き、は伏せていた顔をゆっくりと上げた。 彼女の瞳は真っ赤に変貌し、ぼんやりと滲む。 ヴァンの姿を捉えると、唇が微かに震えだした。 「レックス、まだ意識が・・・・・・戻らないんだって」 呟きに返す返事としては的外れな言葉に、それでもヴァンは次の言葉を待った。 否、何も言えずにいた。 ―この人は、本当に『』なのか? 優しくて、俺よりずっと強くて、でもちょっと抜けているところもあるのが『』だ。 少なくとも俺は、そう思っていた。 弱みなんて見せなかった。泣き顔だって見せなかった。いつでも気丈に振舞って、「なんとかなる」と言いながら笑っていた。けど本当は「なんとかなって」いるんじゃなくてが「なんとかしている」ことを知っているのは、俺の他には兄さんだけだ。胸を借りて泣くのは、兄さんが相手のときだけだ。 だから、彼女のこんな泣き出しそうな声を、オレは始めて聞いた。 「面会も…ダメだって…国家反逆者の一味だから・・・・・・れ、レックスが、そんな…そんなこと、するわけ…ないのに……!」 今のには明るく考える、そんな余裕もなかったんだ。 オレは、できるかぎり明るい声を出した。いつもと同じように。兄さんによく怒られる口調で。 「当たり前だろ。あの兄さんだぜ?きっと…絶対、なんかの間違いだって。勘違いしてるんだよ、誰かと。」 懸命に装ったのに、の顔は結局くしゃっと歪んでしまった。 滅多に泣かないを泣かせただなんて兄さんが聞いたら、兄さんはどんなに怒るだろう。今まで毎日のように聞いていて、聞き飽きてもいいはずの兄さんの声が、すごく懐かしい。説教なんて真っ平だったのに、今ならそれでもいいとすら思った。 (ミゲロさんに迷惑が掛からないようにするんだぞ? 、ちゃんとヴァンを見張っておいて。) 数週間経って、兄さんは帰ってきた。 待ちに待った再会のはずだったけど、はまた泣いてしまった。 は兄さんの姿を見つけると慌てて駆け寄って、 心配したのだとまくしたてるのが突然ぷつりと止まって。 静けさが戻った。 「こいびとどうし」の邂逅だからと気が利いた弟である俺は少し遅れて兄さんの元へ。 そして、そして、言葉も出ないほどの違和感。 一番の違和感は、視線にあった。 兄さんは、を見ようとしない。 の存在すら分かっていなかった。 視線すら動かさなかった。 見開かれたの目から、ぼろぼろと涙が零れ落ちていった。 肘掛け椅子に座る兄さんの膝に縋ってわあわあと泣き続けるに目もくれず、医師はひたすらに説明を続けていた。こんな状況なのに、違う、きっとこんな状況だからだろう。抑揚のない医師の声は、あまり良いとはいえない俺の頭にすんなり入っていった。 兄さんの証言は、拙くはあったけれども将軍反逆の証拠の一端となったこと。 年齢的なこと、容態的なこともあり、極刑は免れたこと。 外傷が回復したら、二度と兵になることは許されないが、普通の生活に戻って良いということ。そして、兄さんには精神的な回復の見込みがまったくないこと。 最後に、俺たちで兄さんの世話をしなければならないという旨を伝えて、中年の医師は帰っていった。パリッとした白衣の背を蹴り飛ばしてやろうかと思った。どうせ、孤児の俺たちのことなんか本気で治療してるはずないんだ。こんな奴のいうことなんか信じることない。そう考えたのは本心だった。でも口には出さなかった。今俺が一言でも話せば、またが泣いてしまうんじゃないかと思ったから。 (大丈夫、帰ってくるから。) それから数ヶ月、俺たちの看病は続いた。 何も希望が見えないままだったけど、それでも続いていた。 身体的な傷はもう治った兄さんの体を二人がかりで運んで、(兄さんの体は、驚くほど軽くなっていたけれど)イスに座らせて、窓を開けて。 眩しい外の光に兄さんの瞼がぴくりと動いて。 それからずっと他愛もないことを話しかけて、反応がない兄さんをは時折悲しそうに見つめる。 「レックス、明日はちょっと来られないの。でも、明後日は楽しみにしててね。」 習慣づいた帰り際のいつものキスを終えたあと、はそういいながら兄さんの体をゆっくりとベッドに横たえた。反応がないことには、もう慣れきってしまっている。 名残惜しそうに、目を離した次の瞬間の奇跡に何度も期待したところで、 結局今日も何の変哲も無く終わりを告げようとしていた。 その夜は満月で、夜道はいつもより明るく感じた。 満月の次の日に。予ねてからが予告していた通りの日が明日だ。 「ガルバナの花、取りに行くのか?」 「ええ。だってあの病室、殺風景なんだもの」 一瞬遠い目をしたはきっと、兄さんの病室を思い描いていた。 どこもかしこも真っ白なものばかりで構成されている部屋だ。 オレの視界に入る鮮やかな色のついたものは、だけといっても良いくらいの。(ざんねんながら、今の兄さんには色がないのだ) ベッドの脇のテーブルに、あの鮮やかな赤の花を添えれば、少しは部屋が華やぐだろうか。 大好きなあの花の香りで、兄さんが少しは良くなるだろうか。 希望がぽつぽつと湧いてきて、無責任なそのときの俺は、を一人砂漠へと送り出した。 そこが、占領下とはいえ安全な城壁の外側だと、知っていたはずなのに。 そしてオレは、がいない病室で一日を過ごした。 パンネロに手伝ってもらって、兄さんをイスまで運んで。 兄さんの表情はいつもとかわらないはずだったけれど、 朝と夕ののキスを受けなかった兄さんはなんだか、いつも以上に悲しげな(無表情だとパンネロは言っていた)表情をしていた。パンネロに、ちょっとの代わりにいつものやってやってくれよ、と言ったら快諾してくれたけど、それが兄さんの唇へのキスのことだと知ると顔を真っ赤にして、そういうのはさんじゃなきゃ意味ないの!と怒られた。 そのまた次の日。 一人で来た俺は兄さんを移動するにもできずに、ベッド脇の小さなイスに腰を下ろしていた。もう少し、もう少し、とが来るまでを待っているうち、ついうとうととしてしまっていた。今日はなんだか目が覚めてしまって、兄さんが普通の状態だったらかなり驚かれるような時間帯に起きてしまった。二度寝しようと思っても不思議と目が冴えていた。 陽はまだ上ってはいなかったがどうせだからと思って、もう最短距離も覚えてしまった病院への道のりを歩く。 思えば、昼間とも夜とも違うラバナスタの空気など初めてのような気がする。 清涼感、とでも言うんだろう。 こんな中で鍛錬したりするから兄さんはあんなに真面目なのかもしれない。 なんて思った。(オレはもちろん、鍛錬なんてしたことない。) 病院はまだ活動していなかったけど、看守のおじさんはあくび交じりに病院へ入っていく俺には無関心だった。仕事を怠慢してるんじゃなくて、俺の顔を知ってるからだ。あの日から一日も休まず病院に通い続ける俺を、病院の人は複雑な表情で見る。咎めはしないし、中傷もしないけど、挨拶を返してくれたことは一度だってなかった。 人のいない廊下を進んで、部屋に入る。いつもと同じように兄さんがベッドに横たわっていた。 とりあえず花瓶の用意をして、窓を開ける。ようやく城壁の中にも太陽の光が入りかけてきたらしく、外の景色は紫がかっていた。 通りにも人っ子一人いない。さすがに早すぎた、と欠伸を一つすると、スイッチが入ったみたいに眠気が急に俺を襲った。 コン、コン。 乾いた音が二つ木製の扉を叩いて、寝ぼけた声で返事をするとガチャリとノブがまわった。 だった。 入る前に砂を叩いてこようとは思わなかったのだろうか。服にはところどころ砂が散っていて、歩くたび零れ落ちるが、それでもは構わず部屋に入ってきた。 普段特におしゃべりな方ではない彼女だが、朝の挨拶もしてこないに若干戸惑い、俺は挨拶を忘れた。の方からされてそれを返すのが普通だったから、…覚えていなかった、とも言うけど。 はいつものようにまっすぐにベッドの方へ歩き、いつもと違う神々しいほどの美しさをたたえていた。でも何故か手には何も、持っていなかった。 ガルバナは?と俺が聞くと、振り返って曖昧に微笑み、それからベッドへと向き直った。 いつものように兄さんにキスをし、…朝陽に解けるようにして、消え、た。 夢のような一瞬だった。俺の白昼夢なのだろう、と思った。 が落としたはずの砂は一粒も床に落ちてはいなかったのだ。 衝動的に手に取った兄さんの手はぬくもりがあった。 けれど時が経つうちそれはすっかり消え去っていく。 芯から冷え切っていく。 ぬくもりのための脈動が、脈動のための呼吸が 兄さんの中で、もはや機能していなかった。 「兄さん…?」 状況が呑み込めずに兄さんの顔を見る。 帰ってきてから、初めて兄さんは微笑んでいた。 かつて俺と、と、一緒に過ごしていたころのやんわりとした微笑だった。 何故だか、ぼたぼたと涙が止まらなかった。 この奇妙なほど整った表情は、前にも、そう 父さんと、母さんの死に顔に似ていた。 (じゃあ…行って来るな。) 医師から臨終の時刻を告げられて、不思議と俺の心は凪いでいた。 そりゃあ兄さんが逝ってしまったのは、悲しくて、辛くて、苦しいけど、 自分でも珍しく感じるほど、大人しかった。 暴れるとか、騒ぐとか、喚くとか、なんだかそんな気持ちじゃなかった。 なにもかもまにあわなかった、って、そう思った。 なけなしの小遣いで買ったフェニックスの尾、全然役になんか立たなかった。 ―のガルバナも間に合わなかった。 ああ、、悲しむだろうな。 最期、看取れなかった、って。 ガルバナを見せてあげられなかった、って。 泣くだろうな。 きっと俺、怒られるんだろうな。(で も、 誰 に ?) ああ、に知らせなくちゃ。(兄さんが、もうこの世にいないってことを) 知らせなくちゃ。知らせたくない。 頼むから、泣かないでくれ。 兄さんに怒られるのが嫌だからじゃない。 (君が泣くと、俺の心もキリキリ痛いんだ) ある日は唐突に私にこういった。(ねぇ、パンネロ) 「レッ、ク…ス…」 喘ぎ喘ぎ、一人の少女が朝陽に照らされだした砂漠に倒れ臥していた。 矢は尽き、弓は折れ、両足はもう動かない。 けれど右手にはしっかりと、真っ赤なガルバナの花。 真っ赤に染まっているのは、ガルバナの花弁だけではない。 這うようにして、砂を握って、少しでも西へ、ラバナスタへ。 愛しい彼の元へ。 掛け替えのない彼の元へ。 願いは空しく、腕の力も遂に抜けて、少女は砂へとぐしゃりと潰れた。 涙の跡に砂が絡まり、吐いたどす黒い血は瞬く間に砂の下へと染み込んでいった。 「ご………ごめ…ね……ごめ………れく……わた、し…」 どれだけ叱咤しようと、もう少女の体は命令を聞くことができなかった。 血は足りず、受けた毒も体中に回っていた。 結局は孤児でしかない少女には、十分な数の道具を揃えられなかったのだ。 …レックス、痛いよ 痛い、くるしい、痛い、いたい、いたい だれか、わたしにきづいて だれか、おねがい、わたしはもうしんでしまうから かれに、 れっくすに、 はな を 。 精一杯突き出した花を、誰かが優しく取り上げた。 (ありがとう、) 聞こえる筈のない、けれど聞きたかった声が、砂漠の風の音に混じった気がして 少女は苦痛に歪んでいた顔をふっと緩めると、 微笑みながら、眠りについたのだった。 (私たち、いつか旅に出るつもりなの。だからその時には、ヴァンのこと…宜しくね。) ”暫く”が永遠のことになってしまうだなんて。 そのときの私は思いもしなかった。 ただ、微笑んだが綺麗で、 きっと、あの二人は、きっときっと綺麗過ぎたんだ 愛されてしまったんだ、ファーラムに。 そしてそれは、とのお別れの言葉になった。 * 「あれ……ガルバナじゃないか。」 無事に初めてのモブハントを終え、その帰路。 そう王都から離れてはいないところに一輪だけ。 兄さんが大好きだったあの真っ赤な花が咲いていた。 「…こんなところで咲くなんて珍しいな。」 あれから、二年。 俺は17になって、やっと歳だけは兄さんに追いつくことができた。 小さいころから『これだけは、絶対に』覆せないことだと悔しがっていたことがまるで遠い昔の出来事かのようだ。 記憶の中の兄さん達はずっとそのままで、歳も取らず、いつも微笑んで、 でも俺はこれからも、ずっとずっと歳を重ねていくんだろう。 自分よりずっと年下の二人を思い浮かべて、 でもきっと俺は、いつまで経っても二人に手も届きやしないんだろう。 折角なんだし、ガルバナも摘んで帰ることにしようと、俺は根元の方からガルバナを摘み取った。 独特の香りがふわりと漂い、どこか懐かしい気分がした。 (なあ、兄さん。そっちまでこの香り、届いてるか?) back← → あとがき menu |