いつか、必ず、お前を殺す
「…、あなた、は」
せめてこの子だけには会わせまいと思っていたのに。
ヴァンはチッと舌打ちをしてから、唇を噛んだ。
己が嫉妬するほどに、「兄弟という絆」以上のものを兄と築いていた少女は、
二年前処刑され死んだはずの男に出会ってしまった。
他でもない、自分の道連れが「盾」としてでも同行を認め、結果として男の脱獄を手助けしてしまった。勿論本意ではなかったが、なし崩し的にこうなってしまった以上どうしようもないことだ。
けれど…あの時から二年経ち、やっと大きな傷にも瘡蓋が張って来たというのに、男の存在は彼女のそれを容易く剥がし取ってしまった。
彼女の瞳が驚愕に染まり、やがて憎悪に歪む。
「生きててくれてありがたいわ、とっても」
瞳に憎しみの色を映したまま、少女の唇はいっそ恐ろしい程の美しい弧を描いた。
その言葉と矛盾する表情に、少女と初対面である男は当然、困惑した。
彼女の表情と発言の、真意など分かるはずもなかった。
「、」
「ヴァン、あなたがそいつを庇うの?」
静かな怒りの矛先を向けられ、ヴァンは狼狽した。
かつてないほどの少女の感情の大きさに、男を見つけたときの自分の行動を思った。
自分だって、そう変わりはしなかった。
「違う、こいつは、…そうじゃないんだ。」
今にも男に飛び掛らんとする少女を、ヴァンは背後から羽交い絞めにした。
「止めろって」
「離してよ!!」
―いつのまに、あまえんぼうだったヴァンはこんなに力が強くなったのかしら。
あまりにも激しく感情が高ぶり、真っ白になった思考の中では思った。
「おまえが…おまえさえ裏切らなければレックスは!!」
「落ち着け、!」
「煩い!私が仇を…仇を!!」
食いかかるように叫んだ少女の両の目からぼろぼろと零れてきた雫が散り、ぽつぽつと乾いた地面へと吸い込まれていった。それに目を向けることなく、男は少女を見つめ続けた。
「私の手で、お前を殺す!!」
殺気と憎しみを湛えた、けれどまだ幼さの残る瞳は男を睨み続けた。
それでも男は表情を変えないままに、少しの間の後口を開いた。
「…いいだろう。」
その言葉に、少女を襲ったのは喜びではなく驚愕であった。
少女と、そして少女を抑える少年とは、呆然と言ってもいい表情だった。
「なんでだよ!アンタ、兄さんを殺したんじゃないって、言っただろ!アレ、嘘だったのかよ!」
男の言葉に、いち早く反応したのは少女ではなくヴァンだった。少女を押さえ込むのを忘れ、男に詰め寄る。
「そのことは嘘ではない。だが、元はといえば私が殺したようなものだ。ウォースラの言うように、彼を連れて行かなければ…彼を巻き込まずに済んだのは事実だ。」
「じゃあなんで殺されても良いだなんて言うんだ!やることがあるんだろ!」
「ああ、そうだ。」
あくまでも冷静さを失わない男に、ヴァンはたじろいだ。そんなヴァンと入れ替わるように影が一つ、体当たりをするように男へと飛び掛っていく。…だ。気付いたときにはすでに遅く、見慣れぬ雰囲気をまとった見慣れた背中が、渾身の力を込めて男へぶつかっていくのを傍観するしかできなかった。
「…どう…して……」
少女が愛用している、一振りの短剣。他でもないレックスに預けられ、必ず少女の元へ帰ってくるという彼の誓いが篭ったそれが、からん、と空しい音を反響させて石の床へと落ちた。
「…すまない。」
刃に血は一滴も付着せず、少女の両の手は拘束された。
彼女はなんともいえない表情で男を見上げる。困惑と絶望と憎悪が入り混じった表情で。
「…殺しても良いって、言ったじゃない。」
「言ったさ。だが、それは今ではない。」
「命が惜しくなったんでしょう!?」
「それは違う。」
「じゃあ、いつだっていうの!!いつになったらおまえを殺せるの!?」
「…私の果たすべき使命全てが終った時。」
誇り高き将軍…今はもう失ったその称号が、少女の脳裏でやけにちらついた。
うっとうしい感情を振り解くように少女はゆっくりと首を振り、歪んだ笑みを続けた。
「心残りを始末するって訳…。おまえは私の仇なのよ。そんなこと通用すると思ってるの。」
「感情面で答えるなら、そうだろうな。」
「だったら!!」
「君に今の私が殺せるか。」
突如男から発せられたものが、一瞬、少女のすべてを止めた。
今まで感じたことのないそれに少女の膝は震え、歯がカチカチと鳴る。生理的な涙が頬を伝い、少女は崩れるようにして床に膝をついた。
今の彼は、それほどまでに『将軍』であった。
敵うはずがなかった。たとえ奇襲であろうと、一介の市民であるが一方的に彼を殺すことなどできるはずがなかったのだ。
先程叩き落された短剣で気付いても良かったことを、気付けなかった少女は今更後悔した。
全力をこめたあの攻撃をいとも容易く男はいなし、自分もも一切傷つけることなく床へ落とし、そして少女を拘束した。そもそも男が望んだなら、無力で小煩いヒュムの子一人の命などとっくに無くてもいい筈だ。
自分はこの男に生かされ、あまつさえ男を殺す『権利を与えられて』いる―…事実が心に食い込み、少女を抉り取っていった。かみ締めた唇は、鉄の味がする。
「…私のすべきことが全て終ったら。その時はいくらでも私を殺せばいい」
紡がれた言葉に沸き起こる感情は、けして歓喜などではなかった。
許された、仇をとることを、仇自身に??
仇が取れると感じる前よりも重たくなった心。
自分がわがままをいっている子供のように感じられて、少女は石の床にギリギリと爪を立てた。
情に駆られた爪如きでは固い石に傷一つ付けられないのを、心のどこかでは分かっていたはずなのに
(ねぇレックス、あなたの仇をとるのは、タダのわたしの自己満足なのかな。)
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殿下のような気性のヒロイン。殿下とラスラでも成立するお話でした。